白秋生家

白秋生家
明治18年、北原白秋の生家は、代々屋号を「油屋」とか「古問屋」と称する海産物問屋でしたが、白秋の父の代になると、柳川地方でも一、二をあらそう酒造業を営むようになりました。当時の北原家屋敷は、一町三反という広大な敷地を有し、母屋との間には、流れのきれいな掘割りがありました。しかしそんな生家も、明治34年の沖端大火災で母屋と一つの穀倉を残して焼失。昭和44年11月に復元され、平成元年2月には母屋に附属していた隠居部屋も復元されました。現在、この生家内には白秋の著書や遺品、さらには柳川の風物にゆかりの深い資料が数多く展示されています。
  • 入口

    枡で計り売りをする酒屋。店先には酒樽がずらり。盛んな頃は、毎年三千石の酒を仕込んだと記録されています。

  • 茶の間

    家族の食事の場。父長太郎は出入りの人たちを一目で見渡せるこの部屋に唐金の大きな火鉢をすえて一日中座っていたといいます。

  • 父の部屋

    銭箪笥を保管し、三方を土壁で囲んだ“金庫室”のような部屋。白秋はおろか他の家族もなかなか入れなかったようです。

  • 食事場

    店の番頭が食事をしていた場所です。ここには現在、白秋が幼少だった当時、柳川の街で使われていた道具や漁の道具が展示されています。

  • 土間

    昔の商家、農家の家屋に必ず作られていた土間。作業上、便利な空間といえます。

  • お座敷

    座敷は十二畳。建築当時のままに保存されている造りは、鶴と松の透かし彫りの欄間があり、床の間のわきの付書院の障子は縦の目の細かい千本格子となっています。しっかりとした意匠です。

  • 仏間

    高床になった仏間。仏壇の下には、柳川の工芸品“花ござ”がしかれています。今は白秋のデスマスク(複製)が安置されています。

  • 当時、穀倉として使われていた倉。現在は白秋作詞の校歌・社歌の展示や白秋系歌人の系譜図を展示。また白秋を師と仰いだ韓国の詩人の鄭芝溶、金素雲の紹介コーナーを設けています。

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