北原白秋について
20世紀、日本の近代文学に
偉大な足跡を残した
詩聖 北原白秋北原白秋
1885年(明治18年)柳川藩御用達の海産物問屋を営む旧家(現・白秋生家)に生まれ、1904年(明治37年)に早稲田大学に入学。学業の傍ら詩作に励み、1909年(明治42年)処女詩集「邪宗門」を発表。2年後、詩集「思ひ出」を発表。名実ともに詩壇の第一人者となります。
その後も、「東京景物詩」「桐の花」などに代表される詩歌集、「とんぼの眼玉」、「赤い鳥」などの童謡集などさまざまな分野で次々と作品を発表。
「雨ふり」、「待ちぼうけ」、「からたちの花」・・・。
聴いたら誰もが知っている、今なお、語り継がれる作品を数多く残しています。
白秋の故郷柳川への思いは強く、20年ぶりに訪問した際には感激の涙を流し、また晩年に発表した、故郷柳川を舞台にした写真集「水の構図」では「この水の柳河こそは、我が詩歌の母體である」と述べています。
1942年(昭和17年)11月2日死去。享年57歳でした。
白秋の歴史HISTORY
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1885年
(明治18年)0歳- 1月25日に生まれる
- 隆吉と名づけられる
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1891年
(明治24年)6歳- 矢留尋常小学校(現、柳川市立矢留小学校)入学
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1895年
(明治28年)10歳- 矢留尋常小学校(4年)首席で卒業
- 4月、城内にあった柳河高等小学校に入学
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1897年
(明治30年)12歳- 県立伝習館中学(現、県立伝習館高等学校)に入学
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1901年
(明治34年)16歳- 3月、沖の端の大火で白秋の実家は類焼。酒倉と新酒・古酒を焼尽。母屋と穀倉の一部が残る
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1904年
(明治34年)19歳- 白秋、父の反対を押し切り、家出し上京
- 早稲田大学英文科予科に入学
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1907年
(明治40年)22歳- 7月、白秋の計画案内で、与謝野寛、木下杢太郎、平野万里、吉井勇と九州北西部を旅行する(五足の靴)
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1908年
(明治41年)23歳- 12月、美術評論誌『方寸』の美術家たちと「パンの会」を興し、耽美派の拠点としてしばしば置酒歓会する
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1909年
(明治42年)24歳- 3月、第1詩集『邪宗門』を易風社より刊行
- 10月、詩誌『屋上庭園』を創刊
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1910年
(明治43年)25歳- 2月、『屋上庭園』に発表した「おかる勘平」のため、同誌発禁となり、そのため2冊で廃刊
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1911年
(明治44年)26歳- 6月、第2詩集『思ひ出』を東雲堂書店より刊行
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1913年
(大正2年)28歳- 5月、松下俊子と結婚
- 1月、処女歌集『桐の花』を東雲堂書店より刊行
- 7月、詩集『東京景物詩及其他』を東雲堂書店より刊行
10月、『城ヶ島の雨』作詞
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1914年
(大正3年)29歳- 7月、俊子と離別
- 9月、短唱・短歌を収めた『真珠紗』を金尾文淵堂より刊行
- 12月、詩集『白金之独楽』を金尾文淵堂より刊行
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1915年
(大正4年)30歳- 8月、第2歌集『雲母集』を阿蘭陀書房より刊行
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1916年
(大正5年)31歳- 江口章子と結婚
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1918年
(大正7年)33歳- 白秋は童謡欄を担当 新童謡の創作に心魂を傾ける
- 7月、鈴木三重吉主宰の児童芸術雑誌「赤い鳥」創刊
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1919年
(大正8年)34歳- 9月、『白秋小唄集』をアルスより刊行
- 10月、第1童謡集『とんぼの眼玉』をアルスより刊行
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1920年
(大正9年)35歳- 江口章子と離婚
- 2月、随筆集『雀の生活』を新潮社より刊行
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1921年
(大正10年)36歳- 4月、佐藤菊子と見合い結婚
- 5月、第2童謡集『兎の電報』をアルスより刊行
7月、散文集『洗心雑話』をアルスより刊行
8月、歌集『雀の卵』をアルスより刊行
12月、英国童謡訳詩『まざあ・ぐうす』をアルスより刊行
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1922年
(大正11年)37歳- 3月、長男隆太郎誕生
- 4月、歌謡集『日本の笛』をアルスより刊行
6月、童謡集『祭の笛』をアルスより刊行
9月、山田耕作と『詩と音樂』をアルスより創刊
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1925年
(大正14年)40歳- 6月、長女・篁子誕生
- 5月、散文集『季節の窓』、童謡集『子供の村』をアルスより刊行
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1926年
(昭和元年)41歳- 3月、童謡集『二重虹』をアルスより刊行
6月、詩文集『風景は動く』をアルスより刊行 - 9月、童謡集『象の子』をアルスより刊行
11月、詩誌『近代風景』をアルスより創刊主宰
- 3月、童謡集『二重虹』をアルスより刊行
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1928年
(昭和3年)43歳- 7月、二十年ぶりに柳河・沖ノ端に帰郷 大いに歓迎される
- 2月、樺太紀行・北海道紀行集『フレップ・トリップ』をアルスより刊行
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1929年
(昭和4年)44歳- 3月、童謡論『緑の触覚』を改造社より刊行
6月、童謡集『月と胡桃』を梓書房より刊行 - 8月、詩集『海豹と雲』をアルスより刊行
9月、『白秋全集』第1巻をアルスより刊行し始める(全18巻)
- 3月、童謡論『緑の触覚』を改造社より刊行
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1932年
(昭和7年)47歳- 10月、季刊誌『新詩論』をアトリエ社より創刊(全3冊)
- 11月、季刊短歌誌『短歌民族』をアトリエ社より創刊(全2輯)
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1934年
(昭和9年)49歳- 6月、台湾旅行1ヶ月余
- 1月『白秋全集』全18巻完結
4月、歌集『白南風』をアルスより刊行
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1938年
(昭和13年)53歳- 5月、短歌添削実例『鑕(かなしき)』をアルスより刊行
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1939年
(昭和14年)54歳- 11月、歌集『夢殿』を八雲書林より刊行
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1940年
(昭和15年)55歳- 8月、歌集『黒檜(くろひ)』を八雲書林より刊行
- 10月、詩集『新頌』を八雲書林より刊行
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1941年
(昭和16年)56歳- 3月、『海道東征』の「福岡日日新聞の文化賞」の授賞式参加のため福岡へ
- 柳河にも帰郷し、南関、瀬高を訪ねる
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1942年
(昭和17年)57歳- 11月2日、午前7時50分 永眠
- 3月、歌論集『短歌の書』を河出書房より刊行
9月、詩文集『香ひの狩猟者』を河出書房より刊行、 - 小国民詩集『満洲地図』をフタバ書院より刊行
10月、写真集『水の構図』の序文を執筆する『跋』は遺稿未完
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1943年
(昭和18年)- 1月、写真家・田中善徳との共著『水の構図』をアルスより刊行
4月、歌集『牡丹の木(ぼく)』を河出書房より刊行 - 11月、歌集『渓流唱』を靖文社より刊行
12月、歌集『橡(つるばみ)』を靖文社より刊行
- 1月、写真家・田中善徳との共著『水の構図』をアルスより刊行